テレマーケティングとは !?  〜「テレ」か「マーケティング」か〜

最近の報道で総務省の次官にS井氏が就任(発令は7月31日付)と知って、昔のことを思いだした。当時は郵政省だった。
もう20年近く前になるが、1996年のある日、勤め先の電話が鳴り郵政省の業務課長からの電話とのこと。エエッと思ったが、直ぐに電話の理由が分かった。私が関係している業界団体の件でだ。
当時、私は「日本テレマーケティング協会(JTA)」の理事で、協会の社団法人設立準備委員会のメンバーも兼任していたので、一種の票固めの電話であったろうか。

88年にテレマーケティング大手5社の協定で結成された任意団体「日本テレマーケティング協会」は、テレマーケティング業界の発展と共にその“会勢”も順調に拡大し、社会的認知度も高まってきた。そこで、何時までも任意団体のままではということで、92‐3年頃から社団法人化を模索し始めていた。
社法となると関係省庁の認可団体になるので、役所の縄張り意識を刺激したようだ。

[今となっては懐かしい1994年当時の顏ぶれ]

96年は丁度、通産省制定の「訪問販売法」(今の特定商取引法)が、その対象とする取引類型に“電話勧誘販売” を追加した年だった。となると必然的に社法化の主目的として「訪問販売法の遵守により社会に貢献する」ことを標榜するのが常套であり、法人化の準備を急ピッチで進めていた。

そこで件の電話となるのだが、要は「法人化にあたって旗幟を鮮明にせよ、まさか○○省ではないでしょうな。郵政としては場合によっては別の協会を立ち上げるので、その時は・・」という趣旨であった。いきなりの電話で旗幟鮮明もあったものではない。
そその時咄嗟に説明したのが、表題のテレマーケティングという言葉である。
「テレ」は遠隔で通信できる機能のことで、「マーケティング」は企業のビジネス行為そのものを意味していると。つまり、郵政省側は手段であり、○○省側が目的となり、マーケティング ⇒“売買契約又は役務提供契約”(訪問販売法)が協会活動の目指すところであることを暗に説明させていただいた。

[一度きりの発起人会ではあったが、日本を代表する
企業のTOPの方々に発起人になっていただいた。]

S井氏からは、その後は音沙汰がなかったが、蓋を開けてみると○○省と郵政省の共管ということで丸く収められていた。一時はどうなるのかと気を揉んでいたが、その手があったかと妙に納得させられた記憶がある。

そんなことがあって97年から社団法人化したわけだが、2012年には公益法人制度の改革により、一般社団法人として再スタートした。同時に名称も「一般社団法人 日本コールセンター協会(CCAJ:Call Center Association of Japan)」と改称し今日に至っている。

一般社団法人としてのネーミングでも侃々諤々の議論があった。
テレマーケティングはテレセールスのイメージが強く、今日の業界を表すのには必ずしも相応しくないのでどうするか、ということだった。
アウトソーシングBPO等々いろんなアイデアがでたが、最終的にはコールセンター、コンタクトセンターの2つが名称候補として残った。
法人名の決定においては、「公益法人として社会に開かれた活動をするのか、業界に向けた内輪の活動をするのか」が重要なポイントだ、という提起をしたことを思い出す。結果的に前者の方向だと意見がまとまり、一般の方々に分かりやすい“コールセンター”を名称とすることになった。

業界向けとしてはマルチメディア化された“コンタクトセンター”という言葉が最新の業態を表しているのだが、一般の方々のイメージは、コンタクト? めがね屋さん?となることや、ハローワークの職業分類でもコンタクトセンターというのは無く、「コールセンターオペレーター」(厚生労働省編職業分類)となっていることが決め手となった。

ところで、冒頭のS井氏は人気歌手でタレントのS井 翔さんの父親と報道されている。私からしたら、S井 翔さんが事務次官S井氏の息子と表現するのが正しいと思うのだが、これも一般の方の認知度が高い息子さん主体の表現になるのは仕方ないことか・・。
報道によると、「S井 翔さんが、新事務次官の息子であります」と高市早苗総務相が人事を正式発表した日の記者会見で、こう述べている。(つまり、翔さんの父という表現を否定) 高市総務相は一連の報道について「S井 翔さんの『父』と小見出しがあり、ちょっと気の毒に思いました」とも言及している。

それにしても、次官にまで登り詰めるような人は理屈だけでなく行動力も凄いものだ、超多忙な業務課長時代にテレマーケティングのようなニッチな業界を相手にしている暇はなかったはずだが、一介の担当の私にまで接触してきている。
電波・通信事業の企画・調整・立案だけでなくあらゆる分野に目を配り“省勢”の拡大に励んでこられたんだなと驚いてしまう。

80年代からの国際通信、通信衛星、衛星放送など郵政の認可事業には総合商社が深く関与していた。商社の末端組織に勤めていた私にまで影響力を及ぼされた同氏には、これからも“世のため 人のため 国のため 道のため”、ミスター総務省としてますますの指導力を発揮されることを願っています。
(以上、いろいろと失礼なことを申し上げましたこと、お許しください、S井様。)


あのころを振り返るために過去の資料を手繰っていたら懐かしい資料が見つかった。
蛇足ながら3点紹介したい。


その1;
すっかり忘れていたのだが、今から考えてもマトモな理屈を言っていた。

CTIは企業にも個人にも大きな変化を与える”とのことで、
「これまでの電話は、場所から場所へのPlace to Placeが基本でした。ところが、Eメールや携帯端末の浸透により、個から個へのPerson to Personへと変化しつつあります。 ・・云々・・ 」
(当時のJTAニュースより)




その2;
法人化に先立つ94年には、日本テレマーケティング協会の21世紀ビジョンを策定した。
その中で、テレマーケティングの定義付けをしたので紹介する。

テレマーケティングとは、顧客の創造、顧客満足の向上、顧客の保持といったマーケティング・プロセスを、パーソナルで双方向性を持つ通信メディアを通じて、円滑かつ効果的に実現する方法である。」

・・・ 当時のベルシステム24やNTTテレマーケティングのトップの方々を交えた1年余りの作業であった。


その3;
まだまだテレマーケティングのシステム化が一般的ではなかった頃に、啓蒙活動を兼ねたセミナーも含め、多くの広告宣伝活動をしていた。その中でも気に入っていたものの一つが右の広告である。

システム的には、コールブレンディングやプレディクティブダイヤリングの効用を説き、データベースマーケティングの必要性と効果的な顧客対応を訴えていた。


以上3点は20年前の資料だが、今見てもそんなに違和感を覚えない。基本的なことはそう変わるものではないからだろうか。                  

傘を貸してくれる銀行 !?

9.11同時多発テロ事件で崩壊したWTCの跡地に9年の歳月をかけて建てられた超高層ビル「One World Trade Center」の展望台が、一般向けに先月オープンしたようだ。
尖塔の天辺までの全長1776フィート(541m)はアメリカが独立した1776年に因んだものとか。
東京スカイツリーが武蔵に因んだという634mよりも納得性がある。
http://time.com/world-trade-center/

One World・・。
最近は“One何がし”というキャッチフレーズをよく聞くような気がする。具体的に何かと言われても直ぐには浮かんでこないが、いつも通う銀行にそのフレーズがあった。
「One MIZUHO」だ。

同行のホームページによると、みずほ銀行みずほコーポレート銀行の合併によるシナジー効果の早期実現がそのキャッチに込められているようだ。
「両行にまたがるクロスマーケティングで成果」、「市場関連シナジーを前倒しで実現」、「本部・事務部門の一元化・証券合併・人員削減等」などと、「ワンバンクシナジー」を証券合併シナジーも併せた「One MIZUHOシナジー」に高めたいとのこと。

One MIZUHOコンセプトの詳細は同行の資料にあるので省くが、その中で、顧客志向という言葉は書かれているが、顧客にとってのメリットや利便性が今一つ明確でなく、顧客視点に欠ける行内・グループ内論理が優先された「New Frontierプラン」の印象が強い。

http://www.fsa.go.jp/singi/singi_kinyu/financial_group/siryou/20150526/01.pdf


さて、「晴れの日には傘を貸すが、本当に必要な雨の日に傘を貸さない。」と、昔から銀行業を揶揄した言葉がある。
以下は私自身の体験談である。
雨の多かった今年3月のある日、急に降り出した雨に店頭で困ったような素振りの私を見かけた品の良さそうなロビー担当の方が声を掛けてきた。
何事かと身構えたが、「傘をお貸ししますよ。」という思いがけない言葉に、一瞬エッと思った。何となくうなずいて待っていると、ビニール袋に包まれた未使用のきれいな傘が出てきたではないか。

「エッ、貸していただけるのですか!」と反応したら、また驚きの言葉が、「お返しはご都合の良い時で結構です。当支店でなくてもどの店にお返ししていただいても構いません。」・・何ということだ、という感動に満ちた顔をしていたら、また追い打ちがあった。「お気に入られたら、ずっとお使いいただいても結構ですよ。」というのだ。ギャフン・・

こんな優しい対応に接すると、却って恐縮し、翌日には早速そのお店に返却しに行った。私のことに気付いてくれたフロアー係員に丁寧にお礼を申し述べたことは言うまでもない。
“ Customer Experience !! ” なexperienceであった。

尚、カサカネに置き換えてもう一度このストーリーを読んでいただくと、本当に嬉しいドキュメンタリーになります。

ただ、同じ銀行で本業にまつわる悲しいexperienceもズーッと記憶から消えない。
もう17、8年前になるだろうか。新しく購入する住宅資金のローンを、すでに別口の住宅ローンを借りている(給与振込口座のある)都心の支店に申し込んだところ、見事に断られた。曰く「ウチの支店は事業資金・法人中心で住宅用の小口ローンは余程のことが無い限り取り扱わないという(支店長の)方針」とのこと。与信上の問題があるとかなら納得がいくが、今まで聞いたことも無い“方針”といわれては疑問が湧くばかりだ。現にローン口座を開設しているのにだ。結局、不動産会社と提携している別の銀行に新しく口座を作り融資してもらったのだが、入金がある口座ではないので資金移動などで面倒な返済手続きが長らく続くこととなった。
それから2年後、旧い住宅借入金の一括返済を申し出したところ、今度は「まだ返さないで」の一点張りで、結構な抵抗にあったのには唖然とした.
方針(或いは支店長)が変わったのか !?
銀行は、「貸すときには渋るが、返すときはもっと渋る」仕事なんだ。

この銀行の沿革は、明治6年(1879)設立のわが国最初の銀行である第一国立銀行まで遡ることができる。
現在のみずほ銀行兜町支店に、その歴史が刻まれた「銀行発祥の地」のプレートがある。

初代の頭取である渋沢栄一に関連する本が、我が家の書棚に1冊だけあった。その講演録の中にある一節を紹介しよう。
「余は本年(大正二年)もはや七十四歳の老人である。それゆえ数年来なるべく雑務を避ける方針を取っているが、ただし全然閑散の身となることができず、まだ自分の立てた銀行だけは依然、その世話をしているという次第で、老いてもやっぱり活動をしておるのである。すべての人は老年となく青年となく、勉強の心を失って終えば、その人は到底進歩発達するものではない、・・」(国書刊行会論語と算盤」より)

銀行業を創案・創業し、91歳まで生きた渋沢の信条は到底マネできるもので無いが、その気概は見倣いたいものである。

問題会社の株主総会体験記


日本では大塚家具の“父娘対決”が世間を騒がせ、お家騒動と揶揄されているが、ワールドワイドではかってのブランド力が凋落、食の安全性や健康問題でも危惧視されているのがマクドナルドだ。

昔米国に出張した時に、今日は「ゴールデン・アーチでディナーだ!」と誘われ、キョトンとしていると、冗談だよと言われたことがあった。マクドナルドがまだ親しみのあるブランドであった時代だ。

そのファストフードとフランチャイズシステムの巨大先駆者が、“落日のバーガー帝国”と嘲弄され客離れが著しい。同社がブランドイメージの回復のためにどのような戦略をたて、売上と客数減少の歯止めにどのような巻き返し戦術を考えているのか、それを知りたいと思い、先日開催された日本マクドナルドホールディング社の株主総会に出席してみた。

改めて事業報告の数字を見てみたが惨憺たる状況だ。
売上げは前年15%減(3年前の7割の水準)で80億円の経常赤字に転落、当期損失は218億円。システムワイドセールス(FC店も含めた売上)では、3年前の5,350億円から4,463億円と888億円も減少してしまっており、昨年比だけで585億円減だ。

はっきりした要因があれば改善案も示しやすいが、悪いイメージが浸透しての状況なので、この先一体どうなるのか想像がつかない。
新事業年度に入り既に3カ月経過しているが、株主総会では新年度の業績予想や事業計画、具体的な改善施策などは提示されなかった。数字を出すにはあと数週間の時間を必要とし、4月中旬を目途に「財務回復プラン」が発表できるというエキスキューズがあった。

日本マクドナルドは71年の1号店Open以来、現在では3,100の店舗を展開し14万人のクルーを抱えているという。

その昔、日本マクドナルド創業者の藤田 田氏が米国のオーナーと契約した時の逸話で「藤田商店との30年間の契約で500店舗できたら成功だ。」と米国側は考えていたようだ。現在はその当時の想定を遥かに凌ぐ規模になっている。

1号店開店から44年、今、ビジネスの中核で活躍しているのは、生まれた時からマクドナルドがあった世代だ。

銀座三越で衝撃的なデビュー、売上世界一の店舗に!

63−64年の名神高速道路や東海道新幹線の開通、アジア初の東京オリンピック、70年には大阪万博と、どちらかと言うとハードが発展・整備されてきた時代にあって、ハンバーガーなる新しい食文化の紹介は衝撃的であった。
当時の値段は忘れたが、割と高価でしょっちゅうありつけるものではなかった記憶がある。そのころから“立ち食い”というスタイルがカッコ良いものになったような気がする。3C (Color TV・Cooler・Car)という新三種の神器の普及とともにハンバーガーというアメリカのソフトが受け入れ始められた時期だった。

話を総会に戻そう。
アノMac−コノMacと渡り歩いてきた原田 永幸氏が議長で、その落ち着いた采配振りは見事であった。彼に対し思うところはいろいろあるが、この議長役を晴れ舞台にして去って行ってくれることに一縷の望みが湧いてくるような感慨を覚えた。

サラ L カサノバ社長からは、Customer FirstをモットーにModern Burger Restaurant that connects with customers(お客様と結びついた新しいバーガーレストラン)を再構築していくという美しい言葉を羅列したプレゼンがあったが、お客と心の繋がりのある店づくりをどのようにしてやり遂げるのかと言う具体策を聞くことはできなかった。

また、監査法人の監査報告では、強調事項として、異物混入問題で事業活動に多大の影響が出ているが、「当該事項は、当監査法人の意見に影響を及ぼすものではない」という文言があり、それ以上のことには触れていない。
会社法の規定に則って監査しているとはいえ、このような重大なリスク、今後も続く危機に関してそれなりの言及があっても良いように思うが、素人の戯言だろうか。
取締役会、株主総会がその機能を果たせないとすれば、残る監査法人が最後の砦のような気がしたのだが。

上海福喜鶏肉や異物混入などの問題は客足減の一要因であるが、外食スタイルの変化や他業態との競争、世界共通のメニューや店舗運営モデルなど、マクドナルドのビジネスモデルそのものの限界、それと消費者の“飽き”という根本的な問題が相まってこのような長期低落化現象に陥っていると思われてならない。
総会の業績報告書では、『「すべてはお客様のために」という理念のもと、マクドナルドの独自性の強化、変化するお客様の需要への対応、店舗環境の刷新といった分野に重点的に経営資源を投入してまいりました。』と述べているが、それができていないから低落化しているということを本当に理解しているのか疑わしく思われる。


●途中退出者が待ち構えている報道陣にあちこちで取材されている

当日は次の予定があり、総会が2時間を経過したところで退席したが、株主から出た意見の中で印象に残ったことを紹介したい。

一番印象に残ったのは、シニアでも行きたくなる店作りをして欲しいという要望だ。
「総会に参加している方々を見ても分かるようにシニアが多い、シニアは時間もありお金もある。たまに孫を連れていくというだけでなく、シニア自身がしょっちゅう行きたくなるような健康的なメニューとゆったりとした雰囲気の店づくりをすべきだ。」(会場から大きな拍手)・・ビジネスモデルという言葉こそ使っていないが、まさにこういう点の論議が待たれる状況である。

2つ目は、不健康イメージの払拭だ。
「総会資料では“見える、マクドナルド品質”と謳っているが、食べ続けると健康を害するという風評はお客を不安にさせている。カサノバ社長、こう言っては何だが、もう少し痩せられたらどうですか?先ずは、あなたが率先して範を示してください。」(会場は皆、苦笑)・・セクハラもどきの発言でヒヤリとしたが、確かに!と納得。何故かTANITAを思い出した。

3つ目は、新任取締役ラーソン氏に関する質問だ。
「生年月日から判断すると、あなたは16歳からマクドナルドに入社していたことになるが間違いないか?」という問いに、「米国で店員からスタートし42年、米国や欧州でマネジメント職を経験してきた。」とのこと。現場も分かっている人材の登用のようだが、他の日本人の返り咲きメンバーも含め、会社の軸となるオペレーションがしっかりしていくことも重要な要素と思える。

日本マクドナルドは、アノMac−コノMacと渡り歩いてきた方の代表就任以降、何となく迷走してきた感がある。お客の嗜好や現場から考えた政策ではなく、頭の中だけで考えてきた運営だったのではなかっただろうか・・?
数十年前に藤田 田氏が米国本社と契約する時に「本社には口を出させない。田流でやる。」という条件をつけたと言われているが、フランスでは、お客の好むバゲットやクロワッサンなどを使ったり、フランス流にローカライズされた店舗運営で売上増進しているらしい。

大量生産/消費、画一的マーケティングは既にどの業界でも無くなっているモデルだ。
日本の中でもその地域に合ったメニューと店舗運営、旧来のハンバーガーに拘らない商品、これらをどう提供していけるのかがこれからの課題と思えるが、果たしてどんなBusiness Recovery Planが出てくるのであろうか。


蛇足
その❶ 総会の案内状に「(他社と異なり)総会でのお土産は出ません」とわざわざ明記している。
その❷ 株価は、上場時の6割。
その❸ 東京ではマック、大阪ではマクド(フランス、フィリピンでも・・)。大阪=フランス??

床屋談義で学ぶCRM? パート3

今もたまにある床屋談義 …

何でこんなメールが毎回来るのかな?
買ったこともないのに。
どこでメールアドレスが分かったのかなぁ …

そう言えば、筆者にもまるで自分にそぐわない
通販会社からのメールがよく来る。
この会社からは簡易家具を買ったことがあり、その際にメール登録をしていたので、いわばオプトインであり個人情報的にはいいのだが、問題はその中身である。

メールを開くと、このような若い女性向けの可愛らしい写真が画面いっぱいに出てくるので、ドキっとさせられる。


当方はどう見ても男性名で登録しており(年齢までインプットしたかどうかは定かではないが)、このメールのターゲットではないはずだ。
カタログと違ってコストがかからないからと言っても幾らなんでも無神経なメールマーケティングと苦笑せざるを得ない。。


せめてこんなメンズ向けのものをメインにしてくれればいいのだが。
この画面は一生懸命探さないと見つからない。



このことで、この通販会社のシステム構築・保守をしている大手システム会社の知り合いに話しをしたことがある。
彼曰く、「メールは属性に応じてパーソナライズしているはずですよ」と。
う〜ん、とすると私は若い女性に分類されているのか ...

ところで、通信販売業界などで今でも利用されている顧客管理というかDM送付管理の手法にRFMがある。
これは言うまでもなく、顧客の直近購入時期、購入金額、購入頻度に応じて顧客のランク付けをし、優良客や離脱客などを明確にしようとする古くからの手法である。
問題は、これではどんな人物や家庭が何を買ったかということが把握されず、LTV(Life Time Value)最大化の観点からは全くNGのシステムである。

私自身の経験もある。
昔、子供の入学時に割と高価な品物を購入したが、その後の注文をしなかったのでDMが来なくなり、3年後には別のところで子供用の品物を購入したという面倒な経験がある。
結局、筆者は再購入をしない休眠顧客として扱われたようだ。


DM Plus Company Limited より

先日、20年近くお会いしていなかった大手通販会社のマーケティング専門家N氏のお話をお聞きする機会があった。
その中で同氏は、昔のRMFと違い、今ではRFMT、つまり、顧客や商品のタイプ別の管理で顧客を認識しているということで、その後の進化を知ることができた。

筆者がテレマーケティングを推進していた90年代、各社とも費用の嵩むカタログ発送数を減らしたり増やしたりの試行錯誤で一喜一憂していたことを憶えている。
RFM頼りに発送を減らすと、それ以上に売り上げが落ちてしまうが、逆に増やしてもそれほど売上げに貢献しないジレンマに悩んでいた。
そんな時に、テレマーケティング・システムの営業をしながら「RFM+I(どんなアイテムを買ったか)の手法を採り入れるべき」と訴えていたことが懐かしく思いだされる。

N氏からは、通販業界におけるデータ分析についての3つの心得もお聴きしたのでここで紹介したい。

  • データは在るものではない、育てるものだ。
  • データ分析の効果を最初から期待しない。辛抱が肝要。
  • データだけに頼らず、感性マーケターを育てる。

また同氏は、インターネットの時代になっても紙媒体は無くならない。
プッシュメディアとしての紙媒体は、とても有効な顧客到達手段であるとも説明してくれた。
コンタクトセンターの電話が無くなると言われながらも、無くならない状態とよく似ている。むしろ、顧客が会社に相談・連絡してくる最終的なコンタクトチャネルとして、電話はその重要性が高まっている。


さて、筆者が初めて本格的な通販カタログに接したのは、70年当時で米国Sears社 の分厚いものだった。
衣料品はいうに及ばす、車や家、鉄砲まで、揃わないものは無いという印象だった。
実際にカタログで買い物をしたことはないが、当時のアメリカの生活や文化にときめき、彼我の差の大きさにただただ驚いたものだ。

当時は、西武百貨店がこのカタログを取扱い、注文の仲介サービスをしていた記憶がある。カタログは有料で購入したが、為替が360円時代で、且つ新入社員の薄給の身では商品を購入することまでは思いもよらなかった。


ということで、千円札4枚で頭をキレイにしてもらい実学までできるのは、床屋談義冥利に尽きる。これはMBAでの立派な課題にもなるのでは・・?

床屋大学での実学はこの他いろいろあるが、4時限目以降に譲ることにしたい。

床屋談義で学ぶCRM? パート2


今もたまにある床屋談義 …

何でこんな手紙(DM)が来たのかな?
買ったこともないのに。
某家電量販店からの便りなんて初めてのことや、と。

そう言えば、ウチにも来ていたな …
そんな話があって、自分にも来ていた「大切なお知らせ」を改めて引っ張り出してみた。
いつ来たのだろう。
どこを見ても差し出し日の見当たらない締まりのない手紙だった。

中味は「HP製ノートPCをお買い上げのお客様へ」として、日本ヒューレット・パッカード社からのリコール(同社は自主回収プログラムと言っているが)の取り次ぎ文章だった。
代理店経由の販売でメーカーが把握できていない顧客へ、販売店の顧客DBを利用して通知した形だ。

買ったこともないのに、「弊社でお買い上げいただきましたHP製ノートPCにつきまして・・」とご丁寧な書き出しだった。


先ず、情報公開サイトを見ろということで検索してみたら、いきなり アラマッ!となった。

http://www8.hp.com/jp/replace0827
このURL自体がもう無効のようだ。
このおじさんが、「俺の探し物はどこにあるのだ〜」と途方に暮れているようだ。

そこで、画面に従いSearch HP.com で「HP製ノートPC AC電源コード自主回収プログラムのご案内」と手紙にある通り忠実に入力しサーチを始めたが、英語サイトから抜け出せず、お定まりの迷走コースに入ってしまった。

結局もう1度、日本HPのホームから「HP製ノートPC AC電源コード自主回収プログラムのご案内」と正確に入力し検索した。ところが「結果が見つかりません。 もう一度試してください。」というつれないレスポンス。
3度目の正直で、「AC電源コード自主回収プログラム」と入れ、やっと到達。


このコンピューター会社の検索エンジンはどうなっているのだろう。
自社サイトで訪問者を戸惑わせている。
ま、[紺屋の白袴 / 医者の不養生]とでも解釈しておこう。
(後日譚;この稿のために再度トライしてみた。検索方法によって出たり出なかったりすることが再確認できた。)

メーカーについてはそんなとこで・・
それよりも、あんなにポイントカード命の家電店がなぜ、HPの特定の機種(拡大解釈してHP製PC製品)を買った顧客を特定できないのか全くもって不思議だ。
賞品の購買時だけでなく故障・修理の際も必ず提示を求めているし、ましてPCのような高価な商品であれば、100% ポイントという名の割引をしているはずなのに。

もともとポイントカードを普及させたい家電販売店の思惑は、顧客の購買履歴を把握すると同時に割引ポイントで次の来店を促進し、顧客の取り込みを図るフリークエントショッパーズプログラム(FSP)である。
よって、ポイントカードシステムは購買履歴の把握がキモとなり、売り、仕入れ、在庫等の管理にも強い武器になるべきものだ。

仕入先からの今回のような要望に対しては、筆者のようなHP製品を買ったことのない不特定多数の顧客にまで案内することなく、「その時期に当該製品を購入した顧客が何件いるのでそこにキチンと連絡しましょう」と取引先に提案できることを目指したいところだ。

ポイントカード・マーケティングがその機能を十分に発揮できずに、「ポイント引当金」勘定を計上するだけの将来の借金に止まっていることは、本当に残念なことである。


ということで、千円札4枚で頭をキレイにしてもらい実学までできるのは、床屋談義冥利に尽きる。これはMBAでの立派な課題にもなるのでは・・?

床屋大学での実学はこの他いろいろあるが、3時限目以降に譲ることとしたい。

2014年の感謝

2014年も大変お世話になりましてありがとうございました。

これまで、いろんな経験を積ませていただいたお取引先の皆様には心より感謝申し上げます。

私自身のターニングポイントとなった年にはこんなことがありました。
【46年間の社会人生活】
1969年(昭和44年)スタート
アポロ11号が人類初の月面有人着陸
世の中まだのんびりと「巨人・大鵬・卵焼き」

【25年間のコールセンター・ビジネス】
1990年(平成2年)スタート 
ベルリンの壁崩壊とドイツ再統一
面白おかしく「オバタリアン

【17年間のアルファコム株式会社】
1998年(平成10年)スタート
Windows 98トランスルーセントiMac発売。
「ハマの大魔神」で横浜ベイスターズ日本一に

そして2015年、アルファコムは更に進化し続けます。
新しい概念のソリューションで、お客様の問題解決に貢献できるよう注力してまいります。

2015年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

                     ファウンダー 中尾 修

※2000年前後、Mosaix社、Lucent Technologies社、CosmoCom社等との取引に従事

床屋談義で学ぶCRM?

今はもう死語かもしれないが、おっとどっこい床屋談義はそう簡単には無くならないね。

昔なら何人かの客同士がヒマに飽かして政治談議などを楽しんでいたのだろうが、今は時間を予約して来る客が殆どなので客同士で会話する機会が無いし、昔と違って近隣の知り合いが憩う場所ではなくなっている。

それでも、聞き上手のマスター(私の馴染みの床屋では主人をこう呼んでいる)との会話越しに、隣に座った客とたまに言葉を交わすことがある。
ただ、お互いの氏素性が不詳なので当り障りない談義に終始。主義主張や政治を論議することなどは難しいが、お金に絡む話は皆の共通の話題らしくいろいろな失敗談や文句話を聞くことができる。

私は自分の商売柄、B2C取引の顛末を聞くのを楽しんでいる。
メモを取っているわけではないので、何となく憶えている話を紹介したい。


一番衝撃的だったのは、キャンセルできないパッケージ旅行の話、それも歴とした旅行代理店でのことだ。

この夏、夫婦で楽しみにしている年に一度の旅行。駅前の店舗で旅行プランを相談し注文したのだが、出発の前日になり体調が悪くなった。この調子では旅行に参加しても周りに迷惑をかけるし自分たちも楽しめないとのことで、急遽キャンセルしようとした。
ところがその日は土曜日でお店は閉まっている。取敢えず手元にあった電話番号に連絡してみたが、その番号は予約センターにつながり予約のことしか受け付けない。店とは組織が異なるので店頭販売の旅行のことは全く分からないとのことだった。

途中まで聞きながら、
「これだ、これ・・今の我々の最大の課題・・オムニチャネル化は ! 」と何故か私が反省モード(マコトニ スミマセン! )に。

結局 埒が明かないので、宿泊先などに迷惑を掛けないようにと、自分たちで旅程表を頼りに各旅館に電話したそうだ。(代理店業務の代理行為・・厳密に言えば旅行業法違反 ! ?)

【この写真は、本稿とは関係ありませんす】

                  

(四角〜い仁鶴が)・・こんな時 法律はどないなってますか?

店を構えている商売は良いが、店の無い訪問販売ビジネスには問題点が多く消費者を保護しなければならないとのことで、訪問販売法(今の特定商取引法)が制定された。
信販売が盛んになればそれにも適用され、電話勧誘販売が普及してくれば同様に対象となった。

因みに現在、何が特定商取引かというと、「訪問販売・通信販売・電話勧誘販売連鎖販売取引特定継続的役務提供業務提供誘引販売取引・訪問購入」の7つがそれにあたる。


法律の専門家ではないので断言できないが、客が自分の意志で店に出向き購買行為をする店頭販売での取り決めは何もない。よって、こんな出口のない取引になっても泣き寝入りしかないのが現状だ。
そう言えば、予約センターはあっても解約センターというのはあまり聞かない。

(また仁鶴が)・・ところで、旅行業法の方はどうなってまっか?

国交省の標準旅行業約款はこうなってます。
第三章 契約の変更および解除
(旅行者による任意解除)
第13条
1. 旅行者は、いつでも手配旅行契約の全部又は一部を解除することができます。

・・何とこう書いてあるではないか。(キャンセル料金は発生するとしても)
このケースでは、シャッターを下ろして解除できる手段を断った売り手側にかなりの責任があるように思えるが、如何であろうか?
 

いわゆるJATAのWebサイトを見ると、「消費者相談室の苦情解決業務」が見つかるが、「当協会では、旅行会社との取引に関するお客様からの苦情解決のお手伝いをしております。」とのこと。アドバイスと旅行会社への仲介はするが、解決をするものではないとも言っている。

思わぬ盲点、出口のないB2C取引の実態が発見できた。
ということで、千円札4枚で頭をキレイにしてもらい実学までできるのは、床屋談義冥利に尽きる。これはMBAでの立派な課題にもなるのでは・・?

床屋大学での実学はこの他いろいろあるが、2時限目以降に譲ることにしたい。