大根役者 発祥の地!?

勤め先の地は京橋・銀座界隈で、江戸開府からの名残りが数多く見受けられる。

かっての京橋川は今は首都高速道路の高架下になってしまったが、京橋のたもとには写真のような案内板があり、かってここには大根河岸、白魚河岸、薪河岸、竹河岸があったことが紹介されている。


「京橋大根河岸 青物市場跡」と記した立派な石碑も立っており、今はビルだらけの場所が、かっては多くの生活物資の荷上場であり、市場であったことが分かる。
水運を生かした産地と消費地を結び付けているマーケットプレースだった。

ここでは数年前から月一回、大根の他、イチゴやバナナなどの青果物をを無料で配っている。

私も大きな袋一杯の青果物をいただいたことがある。
平成26年が京橋大根河岸開設350年にあたるということで、350本の大根を配布する企画が今も続いている。
『大根発祥?の地だ!!』


[月1回の大根無料配布日には長い行列が続く京橋大根河岸]

大根河岸の碑の隣には「江戸歌舞伎発祥之地」という碑が建っている。

曰く「寛永元年二月十五日 元祖猿若中村勘三郎 中橋南地と言える此地に猿若中村座の芝居櫓をを上ぐ これ江戸歌舞伎濫觴也」とのこと。(注:寛永元年=1624年)
大谷竹次郎 題となっているが、同氏は松竹の創業者であり歌舞伎座の社長でもあった。

2013年、新築なった歌舞伎座の完成を祝って歌舞伎俳優オールスターが銀座通りを練り歩く「GINZA 花道お練り」が開催されたのもまだ記憶に新しい。
この「五代目」歌舞伎座の襲名披露は、江戸火消し木遣り衆の先導する豪華なものだった。これだけの規模のお練りは銀座歌舞伎の歴史の中でも初めてのことと言われている。

[写真は、オフィスからみたお練り]
ここは『江戸歌舞伎発祥の地だ!!』

先の、大根発祥?の地だ!!・・と併せると
『大根役者発祥の地』となるではないか!?

因みに英語では大根役者を Ham Actorと言うらしい。大根役者の本当の語源はともかくとして、大根にしてもハムにしても日本と海外では欠かせない食材だ。大根役者は無くてはならない文化と強引に解釈して、京橋をその発祥の地としておこう。


その京橋のたもとにブラザー工業の東京ショールームがある。
玄関周りを飾る歌舞伎ブラザーのカラフルな写真が目を引く。
初代の中村ブラザーは地味目であったが、二代目は艶やかだ。
ブラザー工業曰く、「中村勘九郎さん、中村七之助さんがいるのは世にも絢爛豪華な世界。勘九郎さんが袖を翻すと、背景の富士山や太陽が無地の和服に描かれていきます。 -- 中略 -- こうしてできた色鮮やかな衣装をまとったお二人がポーズを決め、最後はお二人で「ヨッ!」「できる4色!」と、歌舞伎お決まりの掛け声です。」


初代中村勘三郎が創設した猿若座中村座)の場所に、400年近い年を経て中村ブラザーがお目見得しているのも何かの“併せ技”なのか・・

古地図と照らし合わせ、今の京橋界隈を見てみると面白い発見がまだありそうだ。


それと、これらの碑がある小公園にはこの辺りでは珍しい1本の大島桜がある。
真っ白な花は染井吉野より開花が早いような気がする。花と同時に青葉も芽吹くので、白と緑のコントラストが清々しい。
因みに、桜餅は大島桜の葉で優しく包まれるお餅だ。



ロンドンオリンピックの凱旋パレードも2012年の暑い盛りにこの辺りからスタートしている。
数十万人の人出という空前の歓迎ぶりで、上の写真のようなパレードがあったはずだが、あいにく外出先から戻ったらオフィスに入れず、ましてや銀座通りにも到達できず、横道からの何も見えない声援になった。

中央通り・・なかでも銀座通りと言われているこの辺りは、華々しく晴れがましい披露には日本一もってこいの場所だ。